3.11、5年が過ぎた日に思うこと
今日で東日本大震災から5年が過ぎました。
ネットも含めて多くの場所で、5年前の出来事が語られました。
私も改めて5年前を振り返り、あの時のことを忘れないためにも5年経った今だからこその想いを残したいと思います。
5年前の14時46分
5年前の今日、仕事中に会社で地震に遭いました。当時の事務所は7階でしたが、ディスプレイの大きなiMacも倒れることもなく社内に被害がありませんでしたので、余震が少し落ち着くと仕事を再開しました。
それから、いつも通り17時前に事務所を出て帰途につこうと最寄駅に向かうと、JR中央線が動いていないとのこと。恐らく地震直後から動いてなかったようで、駅前のタクシー乗り場に長蛇の列ができていました。
「今から並んで数時間待つかもしれないけど、この時間からなら最悪でも夜中には(タクシー)拾えるよね。」
でも、その考えは5時間後に甘かったと思い直すことになります。1時間に2、3人しか減らず列は進まない状態。「帰らなくては」「子どもたちのお迎えしなくては」のプレッシャーと寒さで追い込まれていたと思います。
タクシーを待ちながら各所に連絡をとり、上の子は同じマンションのお友達にお迎えからお願いして泊めてもらうことに。下の子は保育園にお願いして何とかお迎えまで預かってくれることになりました。しかし、子どもたちのひとまずの処遇は何とか決まったものの私の帰宅の目処が立たず。
深夜近くになり駅構内から私鉄地下鉄が動き出したというアナウンスが聞こえてきて、止まっているJRが動き出すことを待つよりは遠回りで乗り継いでも動き出そうと、私鉄で都心に向かいました。
帰宅の途に
区外から新宿方面に向かう私鉄は思いのほか人がまばらで、大きな地震があったことをふと忘れてしまうような錯覚に陥りそうになりましたが、山手線内の乗り換え駅は大勢の人々が改札前に詰めかけて、どれほど多くの人に影響があったのかを認識させられました。
自宅最寄駅の一つ手前、下の子の保育園のある駅に着いて時計をみると朝の4時。
あんなに大変な地震があったのに電車を動かしてくれていた鉄道会社の人たち、私のお迎えまで子どもを預かってくれていた保育園の先生、勝手がわからないのに上の子のお迎えに行ってくれて一晩泊めてくれた近所の友人。Twitterでフォローしあっているだけなのに、こんな時間まで起きていて励ましてくれたフォロアーさん。
寝ている子どもを抱っこ紐に入れて一駅電車に乗り帰る道すがら、くたくたで頭も働いていないのに朝の空気にスカッとした気持ちになったことを覚えています。
でも本当の意味で大変だったのはその後。
帰宅して少しでも情報を知ろうとテレビをつけて目に入ってきたのは、東北の津波の被害と原発の事故。
私は時間がかかったけど子どもたちのところに帰ってこれて子どもたちと元の生活を送ることができました。
でも同じ国内で同じ時間、不安と心配の中過ごしている人たちがいたこと、願いも叶わず悲しい現実に向き合わなければならなくなってしまった人たちがいること。住み慣れた場所から着の身着のまま去らなければならなくなった人たちがいること。
連日流れる責任の押し付け合いの映像と、冷える体育館などに避難する人たちの映像に、同じ日本国内の出来事には思えなかったことを覚えています。
そして「復興」というキーワードで、良いことも悪いことも語られてきた5年間。明け方お迎えに行った保育園で広い部屋にポツンと1枚敷かれた小さな布団に寝ていた子は今春から小学生。
5年の歳月が経った今だからこそ、なんとなく封印していた5年前のことを引っ張り出して、ここに残しておこうと思います。